新国民歌 ・・・われら愛す・・・
芳賀 秀次郎 作詞
西崎 嘉太郎 作曲
1 われら愛す
胸せまる あつきおもいに
この国を
われら愛す
しらぬ火筑紫のうみべ
みすずかる信濃のやまべ
われら愛す
涙あふれて
この国の空の青さよ
この国の水の青さよ
2 われら歌う
かなしみの ふかければこそ
この国の
とおき青春
詩ありき雲白かりき
愛ありきひと直かりき
われら歌う
おさなごのごと
この国のたかきロマンを
この国のひとのまことを
3 われら進む
かがやける 明日を信じて
たじろがず
われら進む
空にみつ平和の祈り
地にひびく自由の誓い
われら進む
かたくうでくみ
日本(ひのもと)のきよき未来よ
かぐわしき夜明けの風よ
蟹の歌
吉田 嘉七 作詞
松山 貢 作曲
1 蟹はとれども肉はなし
甲羅のままにかじりては
カルシュウムぞと笑いつつ
喰うは何処(いずこ)の習慣(ならい)ぞと
問(と)はまし秋刀魚(さんま)の一切れに
涙落とせし詩人(うたびと)よ
2 木を噛む如きその味も
喰うは食わぬにいや勝る
彼の東海の砂浜に
戯(たわむ)れたらん歌人よ
笑はば笑え泣かばなけ泣け
我は喰らいて生きんのみ
我は喰らいて生きんのみ
五高哀歌
1 五高よいとこ 誰言うた
くぬぎ林の その中に
いかす学生が いるという
一度は ほれて みたいもの
2 竹のバッチに ひと目ぼれ
連れてい行きゃんせ 五日市
連れて行くのは よいけれど
あなたの坐る 席がない
3 坐る席が ないならば
せめてあなたの 膝の上
共に許した 仲ならば
校長先生も 許すだろう
4 許す許さぬ 言うたとて
狭い日本にや 住みあきた
ブラジル スマトラ エチオピア
行きましょ世界の 果てまでも
5 私立 公立 古くさい
( )年の 伝統を
若い我等に 守られた
都立五高は よいところ
われら愛すについて
「われら愛す」につきましては、母校の創立50周年記念誌に山口節夫先生が「新国民家われら愛すと五日市高校」と題してその歴史を記されておりますので、要約して紹介します。
五日市高校では昭和32年度から式典の時に歌い続けてきた。この歌は(株)壽屋が日本の独立を祝福し真の平和日本を築き上げるため、全国から公募し昭和28年10月10日に発表された。
本校がこの曲の導入を検討したのは昭和31年。全校ハイクやホームルーム合宿、毎週定例の全校集会では全員合唱がおこなわれ、歌が潤いのある学校生活の一翼を担っていた。そのような雰囲気の中で生徒手帳の愛吟集に加えられ、また、式歌として取り入れられた。初代校長、坂上隆一氏は実際的で自由な雰囲気の人であり、この曲もやわらかく受け入れられたということである。
昭和32年から入学準備会で校歌とともにこの国民歌を紹介し、その場で練習して入学式の臨んで貰った。これは昭和51年度まで継続している。平成4年の本校就学旅行では広島の原爆供養塔の前で平和を祈り生徒達はこの歌を歌った。しかし現代の五校生にとっては荘重すぎて、式の中で歌う生徒の声は年を追って小さくなる。歌い続けてきた全国で唯一の学校なのだが、平成7年度の式で歌うのを最後に、式歌としての本校での歴史的役割を終えさせることにした。
「われら愛す」を聴く